当たり前がなくなるとき

私の回想です。

日曜日のお昼すぎに、児玉清さん司会アタック25が私が赤ん坊のときも子供で学校に行った時も、成人になった時も、一人暮らしで会社員の時も、ずっと1時台からテレビつければ、やっていました。
アタック25ごっことか小学生の時にやってたから、感慨深い。

あの独特の言い回しやエキサイト、声のトーンは、もう新たに聞くのがなくなるなあと、今日のテレビ欄の、テレビ朝日の午後1時25分からを見たときに感じました。

クイズ番組で、追悼特別番組の表記。

今まで、そんなことは一度ありました。

逸見さんの クイズ 世界はSHOW by ショーバイ でも17年前にね。ミリオンスロットとか懐かしい。

失った悲しみは確かにあります。
さらに、同時に、新たな歴史がうみはじめる時でもあります。

どんな形であれ、思い出は、永遠であり、メモリーの中で生き続けるんだから!

児玉さん、ありがとう。